コラム

夫の後を継ぎ名門ドメーヌの5代目に。ぶどう本来の姿にこだわるビーズ・千砂氏[日本人がワインで世界を驚かせた]

   

海外に拠点を持ち、活躍する日本人がいる。ワインづくりの世界でも、海外で活動して、世界から評価されるワインを生み出す日本人がいる。

世界で活躍する日本人のつくり手を紹介する本シリーズ、今回はブルゴーニュのAOCサヴィニー・レ・ボーヌで名門ドメーヌを指揮する日本人女性、ビーズ・千砂氏にスポットライトを当てたいと思う。

才女が感動するほどのワインと出会った

ビーズ・千砂氏は1967年に東京で生まれた。上智大学外国語学部フランス語学科で学び、上智大学のミスキャンパス「ミス・ソフィア」にも輝いた。その後はフランス商業銀行に勤め、東京支店にて勤務した後、パリ本店に転勤したというキャリアウーマンだ。

ビーズ・千砂氏がワインに出会ったのは、パリ本店に勤務していたころ。あるお店で、「予算1万円でおいしいワインを飲ませてください」とお願いしたところ、出てきたのはワインの当たり年と言われる1982年のボルドーワインだった。

そのワインを飲んだ時、「もっと舌が広かったらいいのに」というくらい感動。それからいろいろなワインを飲むようになったという。

東京に帰ってからもワインへの熱は冷めることがなく、週に1日だけ定時に帰らせてもらい、ワインの試飲の学校に通うようになった。

そんなある日、ランスの農協から、ワインもフランス語も分かるならば、カスタマーサービスをしてほしいと誘いを受けた。30歳になり再度、渡仏することになった。

ワイン生産者のアテンドや通訳をしたり、大学のワイン講座で学んだりする日々を過ごすうちに、名門ドメーヌ「シモン・ビーズ」の4代目当主であったパトリック・ビーズ氏と出会う。そして2人は結婚したのだ。

Entrada de la Bodega Simon Bize et Fils en Savigny-les Beaune

夫亡き後、歴史ある名門ドメーヌの当主に

ビーズ・千砂氏は、1998年にパトリックさんと結婚して2人の子供に恵まれた。ドメーヌ「シモン・ビーズ」では営業と販売を担当していたが、2013年に悲劇が襲う。

気象条件が悪く、大雨で害虫が増殖し、ウイルス病が伝染したのだ。さらに雹も降り、ぶどうの木や果実が傷ついた。その年の収穫を諦めるドメーヌも少なくない中、シモン・ビーズは、量は少ないながらも何とか収穫にこぎ着けた。

しかし収穫当日、パトリック・ビーズ氏が車の運転中に心臓発作を起こし、交通事故で亡くなってしまう。そんな中でもビーズ・千砂氏は、収穫の陣頭指揮をとり、その年のヴィンテージワインをつくり上げたのだ。

ブルゴーニュ中で噂になるほどドメーヌの存続が危ぶまれたが、ビーズ・千砂氏は、亡き夫の妹でドメーヌ「ジャン・グリヴォ」に嫁いだマリエル氏を共同経営者に迎え、5代目当主となった。

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目指すのは「余計なものを削り落としたワイン」

現在、ビーズ・千砂氏は畑の一部でビオディナミを採り入れたぶどう栽培に取り組んでいる。不便で効率の悪い世界に真実があるのではないかと考えるようになり、導入に踏み切ったのだという。

「人が天と地の仲介をして、バランスよくワインつくっていく」というワインづくりの「自然派」の考え方に基づき、「天・地・人のエネルギーを循環させてワインをつくる」という独自の信念を持っている。月の満ち欠けを考慮し、土中の微生物を利用。ぶどうに語り掛けながら栽培している。

そんなビーズ・千砂氏が指揮するドメーヌ「シモン・ビーズ」が目指すワインは、余計なものを削ぎ落としたワインだという。そのため、新樽で熟成させて香りを付けたり、熟成期間を長くしてタンニンにふくらみを持たせたりすることはしない。

This 2010 Simon Bize Bourgogne Blanc Les Perrières is deeeelicious

ビーズ・千砂氏が好きだという「縦のラインがきれいに出ている」ワイン。ドメーヌ「シモン・ビーズ」は、余計なものを削り落として、ぶどう本来のうま味を感じられるワインをつくり、愛好家たちをうならせている。

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