コラム

希少な”幻”ワインをカリフォルニアでつくる私市友宏氏[日本人がワインで世界を驚かせた]

海外に拠点を置いて活躍する日本人は、以前と比べて格段に多くなった。ワイン界にも海外に拠点を持ち、世界のワイン愛好家たちをうならせるワインをつくる日本人がいる。

世界で活躍する日本人のつくり手を紹介する本シリーズ、今回はアメリカ・カリフォルニアで活躍する私市(きさいち)友宏氏にスポットライトを当てたいと思う。

家業の酒屋を飛び出してフランスへ

私市友宏氏は、大阪生まれ。酒販店だった実家を継ぐことになった。店舗に並ぶさまざまな種類のお酒に接する中で、ブルゴーニュの至宝と評される「ラ・ターシュ」に魅せられ、ワインづくりの道を歩み始めることになった。

私市氏は1991年、酒販店の店主を辞めて、ワインづくりのためにフランス・ブルゴーニュ地方へと渡った。この時、レベッカ夫人と4歳の娘も同伴。アメリカ人であるレベッカ夫人は日本文学を学びに日本に留学し、私市氏と出会って1984年に結婚していた。

そして私市氏は名門ワイナリー「アルマン・ルソー」で働き始め、ぶどうの木の剪定や気温0度以下の環境でのぶどうの摘み取りまで含めて、ワインづくりの根幹を学ぶことになる。

Domaine Armand Rousseau

新天地を求めてアメリカへ

フランスで修業した後、私市氏はアメリカ・カリフォルニアへ渡った。

渡米後に私市氏は、カリフォルニアワインの銘醸地ソノマでワインをつくるStonestreet Wineryでセラーワーカーとして働くことになった。働きながらレベッカ夫人とともに大学へ通い、ワインの醸造についても学んだ。

他のワイナリーで働きながら、自らの手でワインをつくる夢を実現させるべく、1999年には「マボロシ・ヴィンヤード&ワイン・エステート」を立ち上げた。ソノマのロシアン・リヴァ・ヴァレーに念願の畑も購入し、ピノ・ノワールの栽培も開始した。

マボロシ・ヴィンヤード&ワイン・エステートのファーストビンテージは1999年の「マボロシ・メルロー」。自社畑のファーストビンテージは2004年の「マボロシ・ピノ・ノワール」となっている。

「マボロシ・ピノ・ノワール」には、レベッカ夫人の名前を冠したセカンドラベル「レベッカ・K ピノ・ノワール」もある。

ファーストビンテージ秘話

1999年にファーストビンテージを出せたのは、ちょっとした幸運に助けられてのことだった。

レベッカ夫人が、カルトワイン「パルメイヤー」の収穫に参加した際、パルメイヤーのコンサルタントをしていた「ワインの女神」ヘレン・ターリー氏と知り合ったのだ。

その縁で、パルメイヤーが買い付けていたヨーククリーク・ヴィンヤードのメルローを購入することができた。その結果、マボロシ・ワイン・エステートのファーストビンテージ「マボロシ・メルロー」を生産できるようになったのだ。

私市氏のマボロシ・ヴィンヤード&ワイン・エステートは、どのワインの生産量もおよそ300ケースと非常に少ない。

マボロシ・ヴィンヤード&ワイン・エステートをワイン店で見つけるポイントは、私市氏の自作という「鷹と羊が月の周りに居る姿」が描かれたラベルだ。ちなみに、鷹はアメリカの「シャガール」を、羊はボルドーの「シャトー・ムートン・ロートシルト」を、月は自身のワイナリーを意識して描いたものだという。

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