海外に拠点を置いて活躍する日本人がいる。ワインの世界でも、海外に出て日本食文化の豊かさを知ったことで、日本食に合うワインづくりに情熱を傾ける日本人がいる。
世界で活躍する日本人のワインのつくり手を紹介する本シリーズ。今回は、アメリカのカリフォルニアで日本食に合うワインをつくり続ける中村倫久(のりひさ)氏にスポットライトを当てたいと思う。
幼少期からワインを身近に感じる環境で育つ
中村氏は、1970年に東京で生まれた。父はショコラティエ、母は料理人という「食」を身近に感じる環境で育った。さらに、伯父がイタリアンレストランを経営していて、祝いごとがあるときはそのレストランで、イタリアワインのキャンティとともに祝うのが通例だった。
幼少のころから、食とワインを身近に感じる環境で育った中村氏。「ワインに携わる仕事をしたい」と考えたのは、大学の卒業旅行でイタリアを旅した時のことだったという。
イタリアで1981年のバルバレスコを飲んで、新鮮な果物が詰まった印象を受けたという。そして「ワインはただの飲み物ではない」と感じ、ワインと関係のある仕事に就きたいと考えたという。
大学卒業後に就職したのは、ワインとは関わりのないホテル日航だった。しかし、ワインへの情熱は失っておらず、ソムリエの資格を取得するなどしていた。
そして1999年、サンフランシスコへ赴任すると、中村氏はカリフォルニアワインに魅了されていくのだった。赴任期間が終わると同時に退社し、カリフォルニアの地にとどまることを決意。ワインづくりの道へと進んだ。
ゼロからのスタート
幼い時からワインを身近に感じ、ソムリエ資格を有しているとはいえ、中村氏のワインづくりに関する知識はゼロに等しかった。
「ワイン業界へ入り込むには、カリフォルニア大学でワインについて学ぶのがいい」と考え、カリフォルニア大学デイヴィス校のワイン学科に入学。2002~2004年まで大学で学び、卒業後は、ナパ・ワイン・カンパニー(Napa Wine Company)に就職した。
ナパ・ワイン・カンパニーでは実験室に籍を置いた。ナパ・ワイン・カンパニーは、醸造施設をさまざまなワイナリーに貸している。実験室では、醸造したワインのサンプルを試飲して分析する。その実験室に中村氏は1年半務めることになり、その間に銘醸造家の姿勢や技術に触れることができた。ワイナリーで5年間働いたとのと同じくらいの経験を得られたと感じたという。
ナパ・ワイン・カンパニーで多くのワイナリーのワインを客観的に考察した後、2005年に中村氏はアーテッサ・ワイナリー(Artesa Winery)で働き始める。翌年からはアシスタント・ワインメーカーに就任した。その後、さまざまなワイナリーで醸造家として腕を上げていった。
日本食に合うワインを目指して
2010年に念願だった自身のワイナリー「ナカムラ・セラーズ」をソノマ・コーストに立ち上げた。カリフォルニアのブティックワイナリーと同様、中村氏は信用のおけるぶどう栽培農家と契約し、彼らが育てたぶどうを使用してワインをつくっている。
中村氏は、アメリカに渡ってから日本食の豊かさ、奥深さに気づいたという。その日本食に合うワインをつくりたいと、中村氏はぶどう品種とぶどう栽培地の選択を熟慮した。その結果、カリフォルニアで最も繊細なシャルドネとピノ・ノワールをつくると評されるサン・ジャコモ・ファミリーからぶどうを買うことを決め、ワインの生産を始めることになった。
ナカムラ・セラーズのファーストヴィンテージは、2010年の「Noria(ノリア)」。中村氏がつくるワインのコンセプトは、「日本食に合う、イキイキとした酸と透明感の溢れる繊細なスタイル」だという。
さまざまなワイナリーで醸造家として修業を積んだ中村氏。醸造家として、ワイン雑誌などで高い評価を得ている。ナカムラ・セラーズは若いワイナリーなので、今後その名を耳にする機会がきっと増えていくだろう。