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カリフォルニアワイン協会日本事務所は、カリフォルニアワインの魅力をわかりやすく伝える特別講座「カリフォルニアワインの今を知る」(全4回)を開催した。
世界4位のワイン生産国であるアメリカでは、総生産量の約9割がカリフォルニアでつくられている。長い時間をかけてワイン生産地としての存在感を増してきたカリフォルニアだが、その歴史はヨーロッパのワイン生産国と比べると決して長いわけではない。しかし、ゴールドラッシュや禁酒法による紆余曲折があるなど、非常に面白みのあるものだ。
同講座の第2回目では、カリフォルニアを中心としたアメリカワインの歴史を講師の松木リエさんが解説。今回の記事では、その内容をお届けする。
アメリカ大陸の発見、東海岸で始まったワインづくり
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、ヨーロッパから東海岸への移住が始まった。ヨーロッパからの移民によって、アメリカの東部でワインづくりが始まったが、定着することはなかった。その背景には、2つの事情があった。
ひとつ目は、アメリカに自生していたラブルスカ種がワインづくりに向かなかったことだ。ラブルスカ種は香りがワイン向きではなく、敬遠されてしまった。
ラブルスカ種
もうひとつの事情は、ヨーロッパから持ち込まれたぶどう品種が、植えてもすぐに枯れてしまったことだ。その理由は、アメリカの東海岸にはフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)という害虫がおり、その影響を受けたためだ。当時はなぜ枯れるのかわからなかったという。
こうして東海岸ではワインづくりが後退した。その代わり、糖蜜や穀物を用いてラムやバーボンづくりが行われるようになった。
まだアメリカでない時代のカリフォルニアで始まった聖餐用のワインづくり
1769年、まだアメリカ領ではなく、開拓すらされてなかったカリフォルニアで、最初にワイン用のぶどうの栽培を始めたのは、スペイン人の修道士たちだ。
当時メキシコを植民地としていたスペイン人は、最初の伝道所(ミッション)をサンディエゴに建設。さらに、サンフランシスコ湾岸にあるソノマまで北上しながら、各地にミッションを作り、全てのミッションで聖餐用ワインをつくるためにぶどう畑を開いていった。
伝道所を作っていった修道士たちによって、カリフォルニアワイン産業の礎は築かれたのだ。
アメリカ=メキシコ戦争勃発、商業ワインの生産がスタート
1821年にスペインからメキシコが独立すると、カリフォルニアは一時メキシコ領に。その後、1846〜1848年のアメリカ=メキシコ戦争中に数週間だけ「カリフォルニア共和国」として独立したものの、戦後間もなくアメリカ領となった。
カリフォルニアで商業ワインの生産が始まったのは、まだカリフォルニアがメキシコ領だった1833年のこと。フランスのボルドーから移住してきた実業家のジャン・ルイ・ヴィーニュ氏が、カリフォルニアのロサンゼルス近郊に、歴史上初めてヨーロッパから持ち込んだぶどうの樹を植えたとの記録がある。
当時、商業用ワインの生産者は、ワイナリーではなく“ワイン・グロワー”と呼ばれていた。講師の松木リエさんによると、「ワイナリーは瓶詰めした状態でワインを販売するが、ワイン・グロワーはバルクや樽の状態で人々に売るスタイルだった」とのこと。このような点で、ワイナリーとワイン・グロワーには違いがあったという。
ゴールドラッシュで活気溢れるカリフォルニア、ワイン産業も加速的に発展
1848年に北カリフォルニアで金鉱が見つかったことで始まったのがゴールドラッシュだ。一獲千金を夢見た人々が集まったことで、カリフォルニアの人口が増えた結果、ワインづくりの規模は拡大していった。ぶどうの樹の植樹が盛んに行われ、カリフォルニアのぶどうの樹は1856年からの2年間で、150万本から400万本近くまで増えたという。このことからも、ゴールドラッシュ以降のカリフォルニアワイン産業の隆盛を知ることができる。
最初に商業用ワイナリーがカリフォルニアで誕生したのは1857年のことだ。そのカリフォルニア初のワイナリーとは、ソノマに創業したブエナヴィスタ・ワイナリーのことである。ブエナヴィスタとは「絶景」の意味で、ハンガリーからこの地に渡った創業者のアゴストン・ハラスティ氏が、その景色を見て思わずつぶやいた言葉だという。
一方、サンフランシスコ北部のナパ・ヴァレーで初めての商業ワイナリーが誕生したのは、ブエナヴィスタ・ワイナリーの創業から4年後の1861年のこと。チャールズ・クリュッグ氏が、チャールズ・クリュッグ・ワイナリーを立ち上げたのだ。同ワイナリーのホームページによると、1882年にはカリフォルニアで初めてテイスティング・ルームを併設したワイナリーになったという。
また、1879年には、ナパ・ヴァレーの先駆的なヴィンヤードであるイングルヌックが創業している。
#FunFactFriday It took 6 years to build our beautiful chateau. From 1881 to 1887. What other facts about #Inglenook you want to know? pic.twitter.com/e12uq8yvgl
— Inglenook (@Inglenook1879) 2017年8月4日
カリフォルニアワインの暗黒時代、アメリカのワイナリーを一掃した禁酒法
繁栄しつつあったカリフォルニアのワイン産業だが、1919年の禁酒法施行をきっかけに大きく後退することになる。自家用のワインづくりのほか、一部のワイナリーで聖餐用のワインづくりも許可されたが、商業用のワインをつくるのは禁止された。そのため、ほとんどのワイナリーが姿を消す羽目に陥った。ただし、わずかにミサ用につくられたワインと、ジュース用や生食用など、ワインづくりを目的としないぶどう栽培は禁止されなかった。
禁酒法が廃止されたのは1933年。以降、新しいワイナリーが次々と誕生し、カリフォルニア州立大学などで、ワイン産業を再構築するための研究や教育が活発化していった。
復活どころか、未来へと成長し続けるカリフォルニアのワイン産業
その後、第二次世界大戦を経て、カリフォルニアのワイン産業は、特に1960年代から70年代にかけて、完全に勢いを取り戻した。
この頃には、カリフォルニアでぶどう畑の植樹とワイナリーの新興が急増。さらには、1976年のパリテイスティング(パリスの審判)により、カリフォルニアが高級ワインの産地として認識されるようになった。
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1980年代から90年代になると、ワイン産業はカリフォルニア全体に広がった。ぶどうの樹は、カリフォルニアにある58の郡のうち半分以上に植えられた。
1991年には、アメリカ政府によって承認された地域栽培の証であるAVA(American Viticultural Areas)が設立され、原産地の保証が明確になった。カリフォルニア内のワイナリーの数はどんどん増え、1997年には1000軒を超えた。
その後もカリフォルニアのワイン産業は成長し続けている。現在では、ぶどうの樹は49の郡に植えられ、139のAVAが存在する。ワイナリーの数は4800軒(2017年時点)にまで増えている。
2000年代に入ると、カリフォルニアはワインツーリズムとサステナブルで有名なワイン産地となった。
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観光地としても人気のあるカリフォルニアでは、ワイナリーも観光スポットとして人気が高く、毎年2100万人の観光客が足を運んでいる。
たくさんの人が来るとなると、排気ガスなどによる環境汚染の問題が心配されるが、カリフォルニアでは環境問題への取り組みも世界の最先端を行っている。例えば、ぶどう畑を眺めながらワインを楽しめる“ナパ・ヴァレー ワイントレイン”では、化石燃料の中でCO2の排気量が最も少ない圧縮天然ガスが動力に使われている。
カリフォルニアのワイン生産量は1850年には21万ケースほどだった。しかし、2016年には2億8500万ケースにまで増加した(いずれも1ケース:9リットル換算)。カリフォルニアのワイン業界は今後も、未来へ向けてたゆまず成長し続けることだろう。