スポーツの世界など、海外を拠点に活動して世界的に評価されている日本人がいる。ワインづくりにおいても、世界の巨匠をうならせるワインを世に送り出す日本人のつくり手はいるのだが、まだあまり多くの人に知られていないのではないだろうか。
そこで世界が注目する日本人のワインのつくり手を紹介する本シリーズ、今回は篠原麗雄(れお)氏にスポットライトを当てたいと思う。
師弟の揺るぎないワインへの情熱
篠原氏は1974年に兵庫県で生まれた。篠原氏とワインの出会いは3歳のころ。両親が残したワインを一気飲みして、生死をさまようことになった。
幼児期にワインとそんな衝撃的な出会いをした篠原氏は、大人になりワインの輸入元で働くことになる。そこでワインの販売と仕入れに従事することになった。
その時に扱っていたワインに、フランス・ボルドー地方のシャトー・ヴァランドローがあった。その縁から、シャトー・ヴァランドロー創設者のジャン・リュック・テュヌヴァン氏に誘われ、篠原氏は2000年10月にフランスへ渡ったのだ。
このテュヌヴァン氏が、篠原氏のワインづくりの師匠となる。テュヌヴァン氏は、1991年の同シャトー初ヴィンテージワインから、濃縮感と奥深い味わい、深みのある香りのワインをつくり上げ、瞬く間に高い評価を得た。短期間で高い評価を得たテュヌヴァン氏のワインは「シンデレラワイン」とも呼ばれている。
テュヌヴァン氏は、ワインづくりにおいて非常に研究熱心。良いワインをつくるためならば、従来のフランス伝統のワインづくりとは相容れない方法を用いることもある。時には、規定を守らないことで自身のワインの格付が下げられることになったとしても、自らの信じる手法を貫いたこともあった。そのため、変化を嫌う向きからは批判を受けてきた。
しかし現在でも、シャトー・ヴァランドローのワインは高額で取引され、その品質と人気の高さを証明している。
そして、そうしたテュヌヴァン氏のワインづくりに対するぶれない情熱は、弟子である篠原氏へ大いに影響を与えたようだ。
おいしいワインしか飲みたくない
篠原氏は、ヴァランドローで働くうちに、「自らの手でワインをつくりたい」と思うようになった。
テュヌヴァン氏の後押しもあり、ヴァランドローのあるサン・テミリオンの隣、コート・ド・カスティヨンにおよそ0.8haという非常に小さい畑を購入してワインづくりをスタートした。
「おいしいワインしか飲みたくない」「量より質」という強い思いを持ち、2002年からワイン「クロ・レオ」をつくり始め、ボルドー初の日本人醸造家となった。
篠原氏は、凝縮された味わいのぶどうをつくるため、ぶどうの収量を抑えている。ワインづくりに対する揺るぎない信念と情熱がなければ、非常に小さい畑で、さらに収量を抑えるなんて、なかなかできないことだろう。
しかし篠原氏は、「品質を犠牲にしたら、クロ・レオは存在価値を失ってしまう」という信念を持ち、ぶどう樹の房を剪定し、1株につき6房程度しか残さない。通常は1株15房ほど残すので、半分以下に絞り込むことになる。その分、残した房から採れるぶどうは、凝縮した味わいになるわけだ。
さらに化学肥料や除草剤は一切使わない。収穫も果実の選別も手作業という徹底したこだわりがある。
そうした信念を持ってつくり出されるクロ・レオは、1年間に約3000本しか生産できない希少なワインとなっている。価格は1本1万円前後。2013年からは隣接する畑から採れたぶどうを使った「ル・プティ・レオ」(1本3000円強)を手掛けるようにもなった。
こうしたこだわりがあるからか、天候に恵まれず、名だたるシャトーが苦戦を強いられる年でも、篠原氏は高品質のワインをつくり上げ、その手腕を高く評価されている。品質の高さと希少性から、クロ・レオには、高い値がつけられる。
進化し続けるクロ・レオ
篠原氏の理想のワインは、「力強く繊細なワイン」だ。
歴史ある古いシャトーは、経験から毎年同じスタイルのおいしいワインをつくり出せる。けれど篠原氏は、ワインをつくり始めて20年も経っていないため、土壌に合った醸造・熟成方法を試行錯誤しながら、ワインづくりを続けているという。
2002年の初ヴィンテージから醸造方法を毎回変えているため、ワインのスタイルもヴィンテージにより様変わりするそうだ。
熟成に関しても、改良を加えている。熟成用の樽は2007年以降、すべてフランス製のブルゴーニュ樽を使用するようになった。また新樽率も60%以上だったのを2007年から30%程に落とした。このように「力強く繊細なワイン」を実現させるため、研究と改良を続けているのだ。
揺るぎない信念と情熱、飽くなき探求心を持って理想のワインを追い求める篠原氏。同氏が手掛けるクロ・レオはまだまだ進化し続けるのだろう。