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毎年11月の第3木曜日は、ボージョレ・ヌーボーの解禁日だ。
日本はボージョレ・ヌーボーの最大の輸出先となっており、ボージョレ・ヌーボーを楽しむことは、今や日本でも欠かせない季節の定番イベントだ。また、この時期は年間を通してワインが最も売れる時期でもある。
そんな、日本でもなじみ深いボージョレ・ヌーボーについて、主なつくり手やその特徴、歴史についてまとめてみた。
ボージョレ・ヌーボーの主なつくり手
ボージョレ・ヌーボーは、フランス南東部ブルゴーニュ地方のボージョレ地区で、その年に収穫したぶどうのみでつくられる新酒のこと。これまでワインバザールでは、ボージョレ地区のさまざまなつくり手を紹介してきたが、ボージョレ・ヌーボーを手掛ける一押しのつくり手を改めてご紹介しよう。
ラブレ・ロワ
ニュイ・サン・ジョルジュに位置し、ブルゴーニュで屈指の規模を誇るネゴシアン。創立は1832年で、現在は生産量の約80%を30カ国以上に輸出するほど国際的な企業となった。100軒以上もの契約栽培農家や醸造所との連携で、常に高品質なワインを量産できる体制を整えており、世界中のクルーズ船や、30社以上の航空会社の機内ワインに採用されている。
契約栽培者との協力体制とチームワークを大切にしており、カペー朝第6代のフランス王ルイ7世のシンボル「百合の花の紋章」がロゴに使用されている。また、環境保護にも取り組んでおり、温室効果ガスの排出削減を目的に植樹を行う「10億本の木」プログラムに参加している。
これまで700以上の賞を受賞しており、イギリスのワイン競技会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(International Wine Challenge:IWC)2009」では、白の「ラブレ・ロワ ムルソー・クロ・ド・ラ・バロンヌ 2007」が金賞を受賞。日本のワイン競技会「サクラアワード(“SAKURA” Japan Women’s Wine Awards)」でも、2020年に「ラブレ・ロワ ムーラン・ナ・ヴァン 2015」がダブルゴールドに選出されている。
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アルベール・ビショー
コート・ド・ボーヌ地区に本拠地を置く、1831年創立の歴史ある名門ネゴシアン。6世代にわたる家族経営で、現当主はアルベリック・ビショー氏。
「ぶどう(その土地の味)」「人(ワインづくりに関わる人々)」「自然環境(環境の永続性)」の尊重をワインづくりの信念とし、シャブリ地区、コート・ド・ニュイ地区などの主要産地に計100ha以上の畑と6つのドメーヌを所有している。
チーフワインメーカーのアラン・セルヴォー氏は、IWCにおいて、「レッド・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」に2004年と2017年の2度にわたって選ばれた。2011年には「ホワイト・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」も受賞している。
アルベール・ビショーがムーラン・ア・ヴァンの中心地「ドメーヌ・ド・ロシュグレ」にて、理想的な環境で生産しているボージョレ・ヌーボーは評価が高い。
2010年には、ボージョレ・ヌーボーのコンクール「トロフィー・リヨン・ボージョレ・ヌーヴォー(Trophée Lyon Beaujolais Nouveau)」にて、「ボージョレ・ヌーヴォー 神の雫ラベル 2010」が、最高賞の「Grande Medaille d’Or(大金賞)」を受賞した。
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アンリ・フェッシ
1888年にボージョレ地区のブルイィ村で創業した、130年以上の歴史を誇るワイナリー。パリのブラッスリーから高級レストランまで、幅広く愛されるワインをつくっている。2008年には、ボージョレワインの名門ルイ・ラトゥールの傘下となり、さらなる発展を遂げた。
クリュ・デュ・ボージョレと呼ばれる、ボージョレ地区の中でも特に品質の高いぶどうを産出する10の上位格付け区画のうち9つに自社畑を所有している。
約80ha以上の自社畑にあるぶどうの樹は、ほとんど樹齢50~75年の古樹だ。そこで育つ質の良いぶどう、手摘みによる収穫、伝統的な製法と、高品質なワインをつくり出すための要素がそろっている。さらに、9つの畑のさまざまなテロワールの違いを表現することで、「クリュ・デュ・ボージョレのスペシャリスト」と呼ばれている。
アンリ・フェッシがつくるボージョレ・ヌーボーは、数年の熟成に耐え得るクオリティを誇る。トロフィー・リヨン・ボージョレ・ヌーボーでは、6年連続で金賞を受賞。2020年には、「アンリ・フェッシ ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォ ヴィエイユ・ヴィーニュ」が最高金賞を受賞した。
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ルロワ
1868年に初代のフランソワ・ルロワ氏がネゴシアンであるメゾン・ルロワを設立。1942年には、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の株式を取得、共同経営を行った。
3代目アンリ・ルロワ氏の娘で、現当主であるラルー・ビーズ・ルロワ氏がメゾン・ルロワとDRCの経営を引き継ぎ、ネゴシアン業に加えて、1988年にドメーヌ・ルロワを設立。ワインづくりにも携わるようになる。今では約21haもの自社畑を持ち、9つのグラン・クリュ(特級畑)を所有する。
また、ドメーヌ設立後すぐに、化学肥料や除草剤などの使用を中止。天体の動きに合わせて農作業をし、土壌を根本的に改良するビオディナミ農法をブルゴーニュでいち早く導入した。低収量にもこだわり、最高品質のワインを生み出している。
ラルー・ビーズ・ルロワ氏は1992年にDRCの共同経営から退き、メゾン・ルロワとドメーヌ・ルロワに専念。ワインづくりへの並々ならぬこだわりと才能を持つ“マダム・ルロワ”として名を広め、ブルゴーニュ地方でDRCと肩を並べるほどの“一流”の評価を得るまでになった。
マダム・ルロワは、ブルゴーニュ随一とも評される、天才的なテイスティング能力の持ち主でもある。ルロワのワインは全て、彼女の厳しいチェックをクリアした精鋭ばかりだ。
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ルイ・ジャド
1859年にワイン産業の中心地、ボーヌに創設されたブルゴーニュ有数のネゴシアン。
コート・ド・ニュイ地区など、ブルゴーニュ各所にぶどう畑を所有する大規模ドメーヌでもある。ブルゴーニュで最大となる約240haの自社畑を持ち、そのほとんどが特級畑のグラン・クリュ、1級畑のプルミエ・クリュだ。
同社は畑のランクにかかわらず、同等の価値と熱意を持ってワインを生産している。ワインのラベルに描かれている、ローマ神話の酒神バッカスは、「全てのテロワールを尊重する」という信念を表したものだ。
また、約20年以上前から化学肥料や農薬の使用をやめ、2019年にHVE(環境価値重視認定)の最高位レベル3を取得。一部ではビオディナミ農法も取り入れ、テロワールを長年維持するよう努めている。
最先端の設備を備えた醸造所でも、天然酵母を用いて自然発酵に任せるなど、伝統的な製法を守っている。2021年には、アメリカのワイン専門誌『ワイン&スピリッツ(Wine &Spirits)』のTOPワイナリー100に選出された。
ルイ・ジャドは、ボージョレ・ヌーボーをワンランク上のAOC「ボージョレ・ヴィラージュ」で生産している。
大量生産はせずに要望があった分だけをつくり、醸造は、自然発生した二酸化炭素を利用する「セミ・カーボニック・マセレーション」という方法により、フレッシュでありながらリッチでコクのあるヌーボーを生産している。
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タイユヴァン
1946年にフランス・パリでオープンし、33年間も三ツ星を守り続けた、歴史と格式あるグランメゾン。レストラン経営以外にワインショップ経営やワインの輸出も手掛け、ワインの品ぞろえや品質においても世界中から高い評価を受けている。
2代目経営者のジャン・クロード・ヴリナ氏が自らフランス全土のワイン生産者を訪ねて買い付けたのが始まりで、現在は世界750のワイナリーと取引し、グループで約30万本以上になるコレクションを誇る。
パリ郊外に総延長2km以上にも及ぶ洞窟のカーヴを持ち、キャヴィストと呼ばれる番人がソムリエと共に飲み頃を判断して出荷しているため、常に最高の状態のワインがレストランやショップに届く。
カーヴには、生産者がタイユヴァンのために瓶詰めして仕立てたプライベートブランド「コレクション・タイユヴァン」と、年月と手間をかけてじっくりと熟成させ飲み頃を見極めた「セレクション・タイユヴァン」という2種類のラインがある。これらのクオリティにはワイン専門家や愛好家も厚い信頼を寄せているため、生産者にとって、タイユヴァンにセレクトされることは最高の名誉だとされている。
また、パリのワインショップ「レ・カーヴ・ド・タイユヴァン・パリ」のほか、東京と横浜にもショップを出店している。日本のショップは同店としては初となるカフェバーも併設し、タイユヴァンが提案する「食とワインとの調和」を実体験できる。
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ドメーヌ・ルー・ペール・エ・フィス
1885年から続く、サン・トーバンに本拠を置くドメーヌ。わずか4haの畑からスタートしたが、現在ではコート・ド・ボーヌを中心に、13の村に70haの自社畑を持つまでに成長した。
自然と土壌に敬意を払い、ワインの質を保つために無理な開拓はせず、創業以来地元の畑の所有者たちと信頼関係を築きながら毎年少しずつ増やしていった。
ドメーヌ以外にもネゴシアン業を行っており、合わせて70以上の銘柄を手掛けている。
大手企業の資本が入るケースが多いブルゴーニュでは珍しい、5代続く家族経営で、現在は5代目のセバスチャン・ルー氏と栽培・醸造を担当している弟のマチュー・ルー氏が中心となって経営している。代々受け継いだ畑、ワインづくりの理念や伝統を守りながら、醸造、栽培、販売方法に新たな手法を取り入れ、若く新しい風を吹き込んでいる。
70年代には大規模な設備投資をし、適切にワインの品質を管理できる環境に整えた。ただし醸造法は伝統的なブルゴーニュ手法で、全てオーク樽で発酵・熟成させている。代々伝わる昔ながらの醸造法を守りつつ現代的な技術も取り入れることで、より質を高める独自の「ルー・メソッド」と呼ばれる理念で、世界中に愛されるワインをつくり続けている。
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ジョルジュ・デュブッフ
ボージョレを代表する最も有名なつくり手で、1964年に設立した。創業者はジョルジュ・デュブッフ氏。
同氏は、「ボージョレ・ヌーボーがやってきた!」というキャッチコピーを掲げ、1年に1度、新酒の解禁日を祝う風習を世界中に根付かせた。
1970年代、世界的な料理人ポール・ボキューズ氏は、彼が提唱する新しいフレンチのスタイル「ヌーベル・キュイジーヌ」に合わせるワインとして、ジョルジュ氏がつくるボージョレ・ヌーボーを提案した。
1987年にはアメリカのワイン専門誌『ワインスペクテイター(Wine Spectator)』で、ジョルジュ氏が「King of Beaujolais(ボージョレの帝王)」として紹介され、世界中から注目された。また、ジョルジュ氏は大の日本好きで、毎年解禁日には来日し、メディアにも登場。日本にボージョレ・ヌーボーの文化を広めた。
同氏は経営者としてだけでなく、つくり手としても優れており、毎日200種類以上のワインをテイスティングし、複雑なアッサンブラージュ(ブレンド)で優れたワインを研究し続けた。
ジョルジュ・デュブッフの畑の端には、バラが植えられている。ぶどうより弱いバラの健康状態は、畑のコンディションを適切にはかるバロメーターになるという。2020年には、同年1月に逝去したジョルジュ氏の功績をたたえ、バラ園を意味する「ボジョレー・ヌーヴォー 2020 ラ・ロズレー」を限定販売した。
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ボージョレ・ヌーボーの特徴
ボージョレ・ヌーボーを生産しているボージョレ地区は、ブルゴーニュ地方のマコンから南へ55kmの辺りに広がっている。
ブルゴーニュ地方では主に赤ワイン用にピノ・ノワールが栽培されるが、ボージョレ地区ではガメイという品種の黒ぶどうがつくられており、収穫した年に出荷される新酒が「ボージョレ・ヌーボー」と呼ばれる。「ヌーボー」とはフランス語で「新しい」「新酒」を意味し、ブルゴーニュ地方では新酒は「プリムール」とも言われる。
ボージョレでは、新酒以外に、熟成向きの重厚な赤ワインや白、ロゼも生産している。
ボージョレは原産地統制呼称(AOC)により格付けされており、「ボージョレ」「ボージョレ・ヴィラージュ」「クリュ・デュ・ボージョレ」の3つのランクに分けられる。
ボージョレが最も一般的で、ボージョレ・ヴィラージュは北部にある限られた38の村で生産される。ボージョレよりも厳選されたぶどうが使われ、コクのあるワインができる。
最上級のクリュ・デュ・ボージョレは、よりガメイの栽培に適した花崗岩の土壌を持つ10の畑・区画のみでつくられる。「ムーラン・ア・ヴァン」「サンタムール」といった産地の村名を名乗ることができ、その土地の個性を生かしたワインになる。また、クオリティが高く、早飲みタイプが普通のヌーボーであっても長期熟成に耐えうる。
ボージョレ・ヌーボーは、「マセラシオン・カルボニック」という特殊な製法でつくられる。
通常の赤ワインのつくり方とは違い、ぶどうを潰さずに密封タンクに入れ、二酸化炭素で自然発酵させる。この工程を経ることにより、ヌーボー独特の赤系果実やバナナ、キャンディのような甘くフルーティーな香りを生み出している。
こうしてつくられるボージョレ・ヌーボーは、フレッシュな香りと果実味に加え、タンニンや渋味が少ないのが特徴だ。飲みやすくアルコール度数も低めで、ワイン初心者にも手を出しやすいのが人気の要因の1つになっている。
ライトボディのものが基本だが、濃厚さや重厚さを感じられるものも多く、バリエーションは幅広い。
なお、早飲みタイプなので、クリュ・デュ・ボージョレのものなど一部の高級ワイン以外は熟成には適さない。フレッシュさを楽しむため、購入後はできるだけ早めに飲み切ることをおすすめする。
ボージョレ・ヌーボーの歴史
第2次世界大戦後の1951年、フランスは、12月15日前にワインを出荷することを禁止する政令を出した。
ボージョレ地区の生産者たちは新酒をより早く出荷できるよう政府へ要請し、その結果、同年11月13日に、ボージョレを含む特定の原産地呼称ワインを出荷できることとなった。
その後、何度かの解禁日変更を経て、1985年の政令で「11月の第3木曜日」が解禁日として正式に決まり、それが今日まで続いている。
もともとボージョレ・ヌーボーは現在のように世界的な規模で飲まれるものではなく、ボージョレ地区で新酒の季節に地酒として親しまれているものだった。
1960年代にはボージョレ地区以外にも輸送されるようになり、やがてフランス全土だけでなく世界中で飲まれるようになった。
1967年にはボージョレのつくり手、ジョルジュ・デュブッフ氏によるキャッチコピー「ボージョレ・ヌーボーがやってきた!」が解禁日の喜びを広め、次第に秋のイベントとして世界的に浸透していく。
1980年代には、当時バブル経済で好景気だった日本でも、華やかな「ボージョレ・ヌーボー解禁」文化が受け、一斉にヌーボーを味わい、解禁日を祝うパーティーなどが各地で開催されるようになった。バブル崩壊後も、1990年代後半の赤ワインブームで市場はにぎわった。
現在でも、日本はボージョレ・ヌーボー最大の輸出先であり、毎年多くの人が11月の解禁日を楽しみにしている。