コラム

海外で活躍する日本人ワイン醸造家の先駆け――10年かけてぶどう畑を整えた中井章恵氏[日本人がワインで世界を驚かせた]

   

海外で活躍する日本人が珍しくなくなった。ワインの世界でも、多くの日本人醸造家が海外に拠点を置いて活躍している。

世界で活躍する日本人のつくり手を紹介する本シリーズ。今回は、海外でワインをつくる日本人醸造家の先駆けとも言える中井章恵(あきよし)氏にスポットライトを当てたいと思う。

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アメリカで芽生えたワインづくりへの情熱

中井章恵氏は、1940年に東京で生まれた。現在活躍している日本人ワイン醸造家の多くは、ワインづくりを夢見て海外に進出した。一方、中井氏は1964年に家族を伴ってサンフランシスコへ渡ったが、その時はまだワインをつくることなど考えていなかった。

中井氏がワインづくりに興味を持ったのは、渡米してから12年も経ってからだった。1976年に家族や友人と連れ立って、カリフォルニアのセントラル・ヴァレーでチェリーとアプリコットの収穫を体験。その時にワイン醸造クラブ「ザ・フレンズ・オブ・バッカス」で醸造関連の機材を管理している友人が、「収穫した果物でワインをつくってみてはどうか」と提案したのだ。

アプリコットを使ってつくったワインは上出来だった。そしてその成功が、中井氏をワインづくりの道へと進ませる入口となった。

アプリコットワインをつくってから、中井氏は北カリフォルニアのヴィンヤードでさまざまなぶどう品種を収穫するようになった。そうするうちに、今度は自分自身でぶどうを育てることを夢見るようになったのだ。

夢を実現するために中井氏は、平日はそれまでの仕事を続け、週末はサンフランシスコから北に100kmほど離れたサンタ・ロサ・コミュニティー・カレッジでぶどう栽培学を学ぶ生活を開始。2年間しっかり学んだ後、ヴィンヤードを設立するため、自分が理想とする土地を1年かけて探した。

そして1980年、ソノマのロシアン・リヴァー・ヴァレーでおよそ8haの土地を購入した。「ナカイ・ヴィンヤード」の誕生だ。

10年かけてヴィンヤードを整える

土地を手にいれたものの、自分の理想とするヴィンヤードには程遠かった。理想のヴィンヤードに整えるため、まずはもともと植えてあったジンファンデルを引き抜き、およそ2haの土地にソーヴィニヨン・ブランを2400本植えた。

高品質なぶどうをつくるため、カレッジで学んだことや、ほかの栽培家たちのアドバイスを取り入れながら、ぶどうの木を育てていく。

1990年代に入ると、ナカイ・ヴィンヤードでは質の高いソーヴィニヨン・ブランができるようになった。満足いくぶどうが育つようになるまで、費やした年月は10年ほど。その10年間、平日はサンフランシスコで働き、週末はヴィンヤードでぶどうを世話する日々を送ったという。

そして中井氏が栽培したソーヴィニヨン・ブランは、タフト・ストリート・ワイナリーがワインづくりに使われるようになった。そのワインがソノマ・カウンティ・ハーヴェスト・フェアーで4年連続銀賞を受賞するなど、高く評価されるようになったのだ。

現在のヴィンヤードとワインの味わい

高い評価を受けるようになったことで、中井氏のワインづくりへの思いはますます強くなった。1995年にシャルドネを3000本、1997年にメルローを3500本植樹。そして1999年になってついに、ワインの醸造まで手掛けるようになったのだ。

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その後、ソーヴィニヨン・ブラン畑の一部をピノ・ノワールに植え替え、2012年にピノ・ノワールのファーストヴィンテージをリリースした。

中井氏がつくるワインは、どれも自然な味わいでバランスが取れている。ソーヴィニョン・ブランは、グレープフルーツなど柑橘類の香りを持ち、爽やかな味わい。シャルドネはトロピカルフルーツの香りと熟した洋ナシやモモの味わいを持ち、酸と果実味のバランスが良い。メルローはベリーの香りと酸味、タンニンのバランスが良く、滑らかな口当たり。ピノ・ノワールは、非常に滑らかな口当たりで繊細なうま味と洗練された果実味を持つ。

海外でワインづくりをする日本人が少なかった時代でも、一からワインのことを学び、飽くなき探求心と努力で、高く評価されるぶどうの栽培とワインの生産に成功した中井氏。毎年、品質の高いワインをつくり続ける中井氏は、現地の醸造家からも支持されている。

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