コラム

ワインは自然の恵み――日本人の女性醸造家が手掛けるシャトー ジンコ ~ボルドーのヴァンダンジュ体験記

   

初めてのヴァンダンジュはシャトージンコで

2021年10月半ばの晴天のある日、私はフランス南西部ボルドー郊外のぶどう畑の中にいた。フランスでパリやノルマンディーのモンサンミッシェルに次いで多くの観光客が訪れる世界遺産の村、サンテミリオンからは11kmしか離れていない。

私がボルドーという土地に関心を抱いた理由は3つある。1つ目は、そこが「パリの人が引退したら住みたい都市」の1位に選ばれたこと。2つ目は、フランス革命の初期に貢献したジロンド派の拠点だったこと。3つ目は、ボルドーが中世、イングランドの領土だったことがあり、ワインも盛んに輸出され、「イギリスがボルドーをつくった(ボルドーの経済・社会的基盤を築くのにイギリスが図らずも貢献した)」と言われていること。現在、ボルドーには6600軒の生産業者がいる。

フランスの秋の一大イベントといえば、ぶどうの収穫(フランス語では​​​​vendange=ヴァンダンジュという)。収穫されたぶどうが運ばれていく道がぶどう色に染まる、と言われるぐらいだ(今では見かけないが、中世ならそんな光景が普通だったのかもしれない)。

ワイナリーで働く一般的な労働者は、この時期、週7日、毎日12時間労働を強いられるらしい。その分、1カ月の有給休暇がもらえるし、ワインは飲み放題らしいが、決して高給とは言えず、凍えそうなほど寒い夜明け前から終日、過酷な肉体労働を続ける人たちもいる。

たまたまボルドーにいた私は、そんな人たちの存在を知り、その仕事の魅力が知りたくて、「自分も体験すれば何か分かるかもしれない」と思い、飛び入りで1日だけ収穫させてくれるワイナリーはないかと探していた。

それは決して容易ではなかった。数週間コミットするならまだしも、1日だけ来られてもワイナリーとしては迷惑な話だ。

しかしそこで私は、百合草梨紗(ゆりぐさ りさ)さんという、美しい名前を持った日本人女性の醸造家がいることを知るのである。既に日本ではさまざまなメディアに登場していて、静岡県沼津出身とある。私の親友の1人がやはり沼津の人で、とても温かい。これはきっと何かの縁に違いないと、百合草さんに連絡を取った。彼女は二つ返事で、会ったこともない私と私の友人をヴァンダンジュに招いてくれた。

お会いした百合草さんは、ネットの記事や彼女のホームページなどの写真を見て想像していた以上にかわいらしい人だった。百合草さんは私に、「梨花さんとはなぜだか初めて会った気がしない」と言った。ああ、この人は人好きのする人だと思った。

百合草さんが夫のマチューさんと2015年に購入したシャトージンコの畑は、2haもない(面積は1.65ha)。だが、実際に自分の足で歩くとその広さをまざまざと感じる。そもそも慣れない長靴で畑を歩くのは容易ではない。百合草さんはもちろん慣れていて、あっという間に見えなくなる。

畑のぶどうの樹の本数は約7500本。年間生産量(ボトル数)はおよそ4000本という。このぶどうの樹、1本1本の樹勢が全て異なるというから驚きだ。さらに驚くべきことは、その1本1本の違いを見ながら、百合草さんがきめ細やかな対応をしていることだった。

収穫では、私はほとんど役立たずだった。バスケットを持ってぶどうの樹の列に行き、しゃがんで、たわわに実ったぶどうの房を切り取るのだが、それだけの作業なのに、葉を避けたり、どこから切り取ろうかと考えたりして手間取った。一方、このために欧州から集まった労働者たちは手早い。彼らは皆、若く、学生も混じっている。歩く速さで、パッ、パッと房を切っていく。プロだ。

私は早々に諦め、タンクの前で、ベルトコンベイヤーに注がれている収穫されたぶどうから、葉や不用物を取り除く作業をすることにした。百合草さんの友人・知人であるおよそ20人の日本人ボランティアがこれに従事していた(ボルドーには500人ほどの日本人がいるという)。さすが日本人。皆、真面目に取り組んでいる。直前に声をかけてこれだけさっと集まるというところに、百合草さんの人徳を感じる。彼女のワインに対する情熱は、誰しも認めるところである。

そうこうするうちに、ヴィンヤードのメインハウスのそばでテーブルセッティングが始まった。ドルフィノワーズ(じゃがいものグラタン)とともにサーブされたのは、シャトージンコのシグネチャーワインと、近所の畑で生産され、百合草さんが監修する「ジー・バイ・ユリグサ」の赤と白。皆と乾杯していただいたシャトージンコは、ワインに精通していない私でも、ああ、ぶどう本来の風味とはこういうことなのか、とすぐに納得できた。「本物」のワインを飲めたことがうれしかった。「ジー・バイ・ユリグサ」も、日本人が好きな味だと、なぜかすぐに分かった。

マチューさんが草むらでぶどうの樹を使い、リブロースを調理する。焼き加減はもちろんレア。防虫剤や化学肥料などが一切使われていない完全有機農法の畑を前に、欧州の労働者たちもしばし芝生に横になり、休憩する。幸せな時間が流れる。デザートはイチゴとホイップクリーム。完璧なランチだった。

ほとんど役に立っていないのに、自分の口から「農業って、農作業って、楽しいですね」などという生意気な感想が出てくる。それは1日中、畑の中で過ごすこと。自然と一体化すること。自然の力を信じて、私たちができることをすること。日本の大都市で生まれ育ち、そんな体験がほとんどなかった私にとって、それは全く別世界、別の生き方。都会には住みたくないという人がいるように、そうした生き方しか考えられないという人たちがいる。それがようやく分かったような気がした。

温暖化にも順応しようとする強い樹

私たちが収穫したぶどうは、面積が広めで、上部を開くことができる特注タンクの中で3〜4週間過ごし、その後は樽に移されて20カ月間眠る。タンクのこのような設計は、攪拌(かくはん)作業で​ある​ルモンタージュ​​​​​​​やピジャージュを容易にするため。百合草さんいわく「うま味を引き出す醸造法」なのだそうだ。えぐみではなく、うま味や深みを引き出すことを心がけている。醸造中はなるべく手を出さず、温めたり、ろ過したり、添加物を加えることもない。こうして丸2年、自然にワインになるのを待つ。ヴィンテージによって味が異なるのも、ジンコの特徴だという。

畑では、冬の間、不要な葉や枝を切り落とす剪定作業が行われる。近年、温暖化によってぶどうの成長が早くなり、3月末に芽が出てくるようになったが、この時期は霜によってダメージを受ける。また、夏の雨の多さも手伝って実が完熟しないため、フランス各地でワインの生産量が減っているというニュースが毎年、聞かれるようになった。

シャトージンコの畑でも、霜対策として、これまでにもわらを敷いたり、ろうそくをたいたりしている。今年は、完全に自然成分だけでできたハーブティーをまいたりしている。シャトージンコは力強く、芯があることで定評があるが、百合草さんからは「ぶどうの樹自体が、この3年間で強くなった」という頼もしい言葉が出た。バイオダイバーシティ(生物多様性)を徹底させることで、逆に樹も自らを温暖化に順応させようとしているのだろうか。

フランスに来て知った言葉に、「テロワール」というものがある。風土、土壌、地勢、気候など、畑の産物が育つ環境一切をひっくるめた条件のことだ。ジンコの樹もそれらにあらがうことなく、むしろ懸命に順応しながら、生き延びようとしている。

「(だから)私たちは土を助けます。耕して、空気を入れてあげて、柔らかくする。実がなった時、こうした手間が味に確実に出る。手づくり感を残したいんです」

ぶどうの樹は太陽の子どもであり、ワインは自然の恵みの飲み物に他ならない。これらの樹が持っている生命力を信じて引き出すというのが、百合草さんの作業の根本的なフィロソフィーだ。テロワールとは宇宙の一部。だから月の動きも作業の手順の参考にする。
 

百合草さんに聞く、家飲みの極意とは

そんな百合草さんのつくるワインは、日本でも発売前から注目されていた。というのも、彼女は日本で10年間、ネゴシアン(ワイン商)として活躍していたため、ワインのインポーターや主要ホテル・レストランのワイン担当者とのネットワークがあった。百合草さんがワイン畑を購入し、作業を開始すると、わざわざ見に来て自分の目と舌で確認し、これならと、安心して引き受けてくれた担当者もいた。

今では、ホテルオークラやザ・キャピトル東急ホテルのレストランのワインリストに登場し、三越伊勢丹デパートのお歳暮カタログなどにも選ばれているのである。

百合草さんにワインの楽しみ方の極意を伺ったところ、「シャトージンコ」については、時間とともに味がどんどん変化するのを堪能してほしいという。

家で飲むなら、2時間、3時間と言わず、4時間前に開けておいてもいいほどだ。飲む前日に開けておくと、次の日には香りがまろやかになって、チーズと合わせてもおいしく飲めるという人もいるそうだ。開けてから2~3日経ってからのジンコが好きだという人もいる。

うま味があるため、フレンチだけでなく、和・洋・中、何にでも合う。肉に赤、魚に白などという、やぼなことは言わない。

「マチューなんて、おすしに赤ワインを合わせて飲んでいますよ」

トロのようにリッチなネタと一緒に飲んでも最高らしい。しょうゆにジンコを垂らすのもありだというのだ。

今日はフレンチと合わせて、明日は中華、その次は和食といった具合に、開けてから最長5日間ほどは風味の変化が味わえる。「60年でも熟成させたい」と百合草さんが言う、芯のある力強いジンコならではの、家飲みでしかできないぜいたくな楽しみ方だ。「(つくる人の)人柄が出る」と言われる由縁だろう。
 

百合草さんが手掛けるワイン

百合草さんが地元では知らない人はいないという、有名なネゴシアン一族出身の夫、マチューさんとともに、2015年、ボルドー右岸、サンテミリオンから十数kmしか離れていないカスティヨン・コート・ド・ボルドーに購入した畑は、ボルドーワインのトップ・ブランド、シャトー・ペトリュスの元醸造家、ジャン=クロード・ベルエ氏のお墨付き。その土壌は石灰質と粘土質で、サンテミリオンと同じ土壌が続く“プラットー”と呼ばれる台地に南向きで位置している。標高100mのなだらかな斜面にあり、風通しも良い。平均樹齢は35年~40年。古い樹では樹齢65年になるものもある。

シャトー・ジンコ

AOP:カスティヨン・コート・ド・ボルドー
ぶどう品種:メルロー100%
参考小売価格:1万3000円(税別)

化学肥料、農薬、除草剤等を一切使用しない、有機農法でつくられたワイン。2019ヴィンテージからは、フランス農務省により定められ、厳しい基準が設けられているオーガニック認証AB(Agriculture Biologique、アグリキュルチュール・ビオロジック)を取得している。

伝統的な耕作により熟したぶどうを手摘みで収穫後、温度調整のための電気を使わず、野生酵母を利用してステンレスタンクで発酵させる。このタンクは上が開け閉めでき、ピジャージュ(櫂入れ)やルモンタージュ(ポンピング・オーバー)も行える特注品だ(高さは1m50cmと低く、ワイドなブルゴーニュ式)。煎じるように、およそ3週間発酵。そして20カ月間、500Lのフレンチオークで熟成させ、樽の中でゆっくりと時間をかけてマロラクティック発酵を促す。清澄(コラージュ)は行わず、フィルターにもかけない。1本のワインをつくるのに、約1.4本のぶどうの木を使用するぜいたくなつくりだ。「ジンコ」とはフランス語で銀杏のことで、生命力を象徴する木でもある。

そのアロマはというと、黒みの強いガーネット、ダークプラム、ブラックラズベリーといった果実が芳醇に香る。テクスチャーは滑らかで、果実をそのままかじったかのような生き生きとしたフレッシュ感があるのも特徴。アルコール度数は高く、ストラクチャーもしっかりしていてハーモニアス。ピュアな果実のバランスがとれた味わい。ぶどうのうま味が濃縮されており、土壌由来のミネラルときれいな酸が心地良く口に広がる。

以下のジー・バイ・ユリグサ(赤、白)は提携する畑でつくられるバリューワイン。

ジー・バイ・ユリグサ ルージュ 2020

AOP:カスティヨン・コート・ド・ボルドー
ぶどう品種:メルロー95%、カベルネ・フラン5%
参考小売価格:3000円(税別)

所有する自社畑のすぐ近くにあるワイナリーと提携し、百合草さんの完全監修によってつくられるバリューワイン。3.3haの作付面積で、平均樹齢30年のぶどうの樹から年間約2万本のみ生産される。熟成は、1年か2年使用のフレンチオークで8カ月間。

色調は輝くルビー色。香りは熟したダークチェリー、カシスの赤いフルーツのブーケにパンを焼いたような樽香。ぶどうを食べているような、ふくよかで心地よいアタックに、まろやかなタンニンが口中に心地よく果実味と共に広がっていく。酸とのバランスが良く余韻は長い。早いうちから華やかなアロマがあり、親しみをどこかで感じるような、それでいて、骨格もしっかりしていて上質な格付けボルドーを思わせる気品も感じられる。

ジー・バイ・ユリグサ ブラン 2020

AOP:グラーヴ
ぶどう品種:ソーヴィニヨン・ブラン60%、セミヨン40%
参考小売価格:3000円(税別)

ボルドーの白ワインの銘醸地グラーヴにあるワイナリーと提携し、百合草さんの完全監修によってつくられるバリューワイン。2.6haの作付面積で平均樹齢25年のぶどうの樹から、年間約1万本のみ生産される。熟成は、2年使用のフレンチオークで9カ月間。

色調は、輝きのあるきれいな黄色。香りは複雑で、白いモモのようなフルーツに、白い花のブーケのハーモニー、ふくよかなかんきつ系のフルーツとマンゴーや蜂蜜のような甘い香りが感じる。口に含むと新鮮で濃厚なボリュームを感じ、アロマが口いっぱいに広がる。バランスが良く、アフターフレーバーも長い。サービス温度は8~10℃くらいがおすすめ。

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About the author /  信夫 梨花
信夫 梨花

東京の国際交流基金に勤務した後、1999年渡英。イギリスにおける日本メディア向けの取材や執筆、コーディネーターを手がける。ラジオやテレビ番組、英字新聞などにリポーターやコメンテーターとして出演し、在日英国大使館後援イベントでのレクチャーも行う。2010年から2014年までヴァージン・アトランティック航空の人気ブログ「RICAのロンドン日記 私の好きなイギリス」を連載。著書に『英国の首相に学ぶ 反論の伝え方』(主婦の友インフォス社)などがある。2014年からスペイン、フランスに住んだ後、2022年5月現在はスイス・ジュネーブに滞在中。